1986-04-15 第104回国会 参議院 内閣委員会 第3号
一たん爆撃受けて何もかもみんな吹っ飛んでいっちゃう、そのときにどうやってその証拠書類を、またこれも恐らくまだなにしておると思うんだけれども、何回やっても何度も今言うとおり証拠のものを持ってこい持ってこいと言って、そして何度目かにとうとうなにしたら、その後私のところへを言ってこないからあれだけれども、たまたまいみじくもお守り袋が出てきて、そのお守り袋をあけたら戦地でいわゆる現認証明書を書いてくれたのがあったというので
一たん爆撃受けて何もかもみんな吹っ飛んでいっちゃう、そのときにどうやってその証拠書類を、またこれも恐らくまだなにしておると思うんだけれども、何回やっても何度も今言うとおり証拠のものを持ってこい持ってこいと言って、そして何度目かにとうとうなにしたら、その後私のところへを言ってこないからあれだけれども、たまたまいみじくもお守り袋が出てきて、そのお守り袋をあけたら戦地でいわゆる現認証明書を書いてくれたのがあったというので
安男にはそれがお守り袋に思えた。 十三日の対長岡戦。安男がバッターボックスに入ると応援席から「カッセ、ナンノ」の大声援。その中に道江もいた。安男の背の〃お守り〃は道江の声だけをしっかりととらえたような気がした。その瞬間、安男のバットから渋いヒットが飛び出した。 試合は苦戦の末、長岡を6−5で振り切った——。 道江はグラウンドに飛び出したい衝動にかられた。「安男。
この法律が通れば救われるのだ、こういうふうに考えて、そうしてこれをまさに開運のお守り袋のように考えていたところが、法律は通った、ところが案外利益がない。ただの紙っぺらにすぎなかった。今までおさい銭を上げたり、お百度参りをしていたことは、全くこれは徒労であった。こういうことになると、中小企業者ののろいというものが、あげて岸内閣のもとに私は集中するとさえおそれるのであります。